夜よ、こんにちは

マルコ・ベロッキオ監督の「夜よ、こんにちは」をシネマテーク
観に行ってきました。この監督、イタリア映画界ではベルトルッチ
並ぶ巨匠だそうです。すいません私はよく知らないのです。


監督は知らないのですが、印象的なポスターと「夜よ、こんにちは」と
いったタイトルが個人的には魅了的、それと地味目ですが映画評も
なかなかよかったので、是非観たかった映画です。


1978年に実際イタリアで起った、モロ元首相を「赤い旅団」といった
極左武装集団が誘拐、殺害した事件をもとに画かれてます。


赤い旅団のメンバーであるキアラ(目の表情が印象的な)
若い女性が主人公。旅団は、モロ元首相を誘拐、監禁し形式ばかりの
裁判によって死刑を宣告する。その監禁し、悲劇に突き進んでいく過程で、
キアラは自分たちが間違っているのではないかと苦悩し始める。
しかし間違っていると思われても、こういった組織の場合、
ことが進み始めると、引っ込みがつかくなってきます。
それでも監禁が長期に及べば、誘拐された側した側の間にも
心の交流が起ってくる。だから余計に苦悩する。
こんなような話です。


陰影を重視した美しい映像、主人公のキアラの
空想とも現実とも区別がつかないような、
不思議な風景と、間に挿入された音楽、ピンクフロイドの狂気。
なんとなく観ながら、(個人的には)安部公房を思い出させるような
不条理感を感じながら観てました(そういえば安部公房
ピンクフロイドの確か大ファンだったはず)。


映画のなかにも映画(シナリオ、小説)が入り込み、
殺されるはずの人が、逃亡に成功する場面が織り込まれて
いたりして、重層的なイメージに何がしかの希望が見出せます。
そういったストレートでない希望の画き方も
この映画には必要だったのでしょう。
それだけこの事件がイタリアに与えた歴史的な痛みは
大きかったはずです。


日本でも赤軍派が起した、あさま山荘事件を題材にした
映画がありました。しかしあちらは予告編観て、観る気が
まったく起きませんでした。
なぜなら「企画がないから取り上げた」そいった印象しか
与えられなかったから。
私の想像、おそらく当たってると思います。