ぼくを葬る

ishidatax2006-05-03

フランソワオゾンの新作、「ぼくを葬る」を
観てきました。


主人公のロマンは、カメラマンとして順調に成功を
収めようとした矢先に、ガンによって余命3ヶ月と宣告されてしまう。
そこから主人公の孤独な苦闘が始まるのです。


家族にも告げず、同性愛者の恋人にも告げず、一人で苦しむ。
ただ1人、祖母(ジャンヌモロー)だけには、自分がガンで余命いくばくも
ないことを話します。それは自分の亭主が死んだとき、愛人ととも子供を
捨てていった祖母が自分にもっとも似ていると考えたから。


しかし物語が進むにつれて、姉との確執を修復し、生きるすべを
知らなかった恋人を導き、同性愛者にも係わらず
自分の子供を残しながら、その子供に自分の残すべき財産を
すべて与える遺言を残します。
そして自分の死ぬ場所として、最後に海を選び、一人で孤独に、
ただある種の満足を観る者に感じさせながら死んでいきます。


その死んでいくロマンの横顔を太陽が赤く照らしながら沈んでいく。
これは再生を意味しているのか、それとも完結を意味しているのか、
私にはわかりませんでした。
ただその死に様は美しく切なかったです・・


映画を観終わってその余韻に浸りながら、この孤独な死に様、
強く愛されたいと望みながら、その人達に誰一人として見取られず
死んでいく様は、ああフランス映画っぽい(というかフランス
映画なのですが)なと強く思いました。


この感覚を一般の日本人の感覚からすると、あまりにも孤独で
耐えられないのではないかと思います。しかし個人主義の国では
むしろこれが自然なのかも知れません。そしてその中にこそ
美しさ美学を見出すのです。


映画の主題とは離れて感心したのは、映像、ファッション、会話、
すべにおいて洗練されていたこと。
こういった洗練されたセンス、しかもそれが鼻につかない
ところがとってもよかった。


観終わったあと、昔のオゾン作品もまた観たくなりました。